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観光スポットイーストマプレフ・フラワー温室庭園

1930年に建築されたマプレフ温室は、当時のハワイ諸島全体で最も大きなガラス温室でした。現在は劣化が進み、温室は使用されていません。トロピカル農園として営業を続けていますが、2013年現在、オープンしているかどうかは、定かではありません。

【アクセス方法】 

★カウナカカイからハイウェイ450号線を東、ハラワに向かって進みます。 

★マイルマーカー15付近を過ぎて山側にあります。

【営 業】※営業しているかどうかTELにて確認下さい 

■営業時間: 月~金 7時~12時(不定期臨時休業有) 

■TEL 808-558-8160

■毎日午前10時30分~庭園無料ツアー開催

1930年に建築されたマプレフ温室は、当時のハワイ諸島全体で最も大きなガラス温室でした。1970年代中盤までは、ハワイ砂糖製造協会が、サトウキビの検疫や品質改善テスト場として使っていました。

その後、ヘリコニアやジンジャーのフラワー農園とネネ(ハワイ固有鳥)の繁殖に使われ始めます。

 

8.9エイカーに及ぶこの場所は、色々と物議を醸しだしてきた場所でした。

この土地の前借地人が敷地内にむき出しの状態で人骨を放置しており、後継のオーナーがそれらを埋葬し、薬物乱用リカバリーセンターとしてメインの母屋を使用しようとしていました。しかし、ハワイアンアクティビスト、レイモンド・レイマナ・ナキ氏やアラパイ・ハナピ氏らによって、敷地はガラス温室を含めそこに眠る人々の魂を優先させるべきだとし、施設の取り壊しを要求します。彼らは「IWI(骨)はここで休む場所を必要としている。マプレフは我々のクプナ(長老)や、チーフ(王)にとって非常に重要で長い歴史を刻んできた場所だからだ」と主張しました。

 

両者が和解を試み、敷地オーナーが骨を然るべき場所に埋葬することを提案したとしても、1930年に建設された貴重なガラス温室の復興は全く計画の中には入っていませんでした。なぜなら、その当時のオーナーはガラス温室の利用をするつもりはなく、そこに併設していた母屋のみを使用する予定だったからです。

 

その後、協議や話し合いが続けられる中でも、ガラス温室の状況は悪化していきました。

当時(1930年)手作業で組み立てられたガラスの枠は壊れ、素材として使っていたHALE KOAの木も腐っていきました。

何より、1930年代の建築技術で作られたガラス温室は、基盤に海から運んできた砂を使用しており、それらが風化してきてしまったため温室の基盤が非常に脆くなっていました。

 

その後、オーナーが変わり、ネネ・オ・モロカイを運営するアーレオーネ・ディッベン・ヤングさんが敷地管理を継続すべく、およそ9万ドル(約900万円)の資金を投入し、レジンでグラス温室の基盤を補修すると発表しました。

 

しかし、その後現在に至るまで、この場所がその後復興に向けて建築物の保護は積極的に行われていないのが現状です。

 

(情報ソース、写真)ハワイ史跡協会

写真:©ハワイ史跡協会

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一部まだ工事中です。

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