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●島の歴史

情報ソース:  Visit Molokaiホームページ(英語)

古代のモロカイ島・・・・・

 フレンドリーアイランドと呼ばれるモロカイ島は、2つの火山から成り立つ島で、島の発見はイギリスの冒険家、キャプテン・ジェームス・クックのハワイ諸島発見以前にまでさかのぼります。 かつてカメハメハ王がオアフ島の征服を計画していたとき、居住地としていたのがモロカイ島です。

 ハワイ諸島の中で5番目に大きな島で、ハワイがハワイ国であった時代の面影、スピリッツをいまだに色濃く現存させているスピリチュアルな島です。カメハメハ5世の側近として仕えていたカフナ達はすべてモロカイ島のカフナであると言われており、当時のハワイ王国を実質支えていた指導者たちの島でした。非常に信仰深く現在でも島には数多くの教会が現存しています。またカラウパパ半島で献身的にその一生をささげたダミエン神父もモロカイ島の歴史にはなくてはならない存在です。

 モロカイ島は今までも、そしてこれからも、変わることない美しい自然を守り続ける島です。

 島に人が住み始めたのは、紀元450~650年頃のことで、ポリネシアの開拓者たちでした。彼らは、マーカサス諸島を始め、タヒチなどポリネシア諸島から海を渡ってきたと伝えられています。紀元700年にはさらに多くの移民が移り住み、居住者の数は一気に増加しました。

 しかし当時のモロカイ島は平和で、マウイ島やオアフ島からの影響をほとんど受けていなかったため、モロカイ島や島のカフナ達はほかのハワイ諸島から一目置かれる存在となっていきました。18世紀に入ると島はモロカイ島の肥沃な漁業権を巡って首長と村民との間で論争がおこります。 首長はこれらの論争を治めるために、他島の首長に応援を要請したところ、オアフ島の管轄となります。

 その後、マウイ島の王がオアフを征服しようと試みた時に、マウイ島の管轄に移りました。それ以降、現在に至るまで、モロカイ島は(ラナイ島を含め)、マウイ島の領域となっています。モロカイ島には、その他のハワイ諸島同様、島にまつわる数多くの神話が語り継がれています。

 ある神話では、タチチアン達がモロカイ島にやってきたときその中の一人、KUPUが島の東端の酋長となりましたが、KUPUの酋長としての期間はとても短いものでした。巨大な水しぶきが山から降り注ぎ、酋長のみならず家や家族までもを水没させてしまったからです。

 モロカイ島の東端ハラワバレーにある滝のひとつには、Mo'oと呼ばれる巨大龍(トカゲ)が生息していたと伝えられており、今でも、滝壺で泳ぐ時にはMo'oに許可を得るため、ティーリーフの葉っぱを滝壺に浮かべてMo'oの意思(機嫌)を確認します。また、ある神話ではモロカイ島は古くからカフナ(預言者)の島と呼ばれており、そのパワーは非常に強力で絶大だったことから、他島から一目置かれていました。

 1500年代に存在していた偉大なカフナ、ラニカウラ(Lanikaula) はハワイ諸島全域の巡礼者、移住者たちにアドバイス(預言)を行っていたことで有名です。モロカイ島の存在や島のカフナが非常にスピリチュアルなものであることを証明するもうひとつの神話は、16世紀のことです。

 島の西端、マウナロアに突如として毒を持った木々が育ちはじめました。これらの木は人々に恐怖と不安を与え続けていましたが、一人の男、カネラカマ(Kanelakama)がこの木にお供え物をするアドバイスを神々の一人から受け取り、実行したことで問題を解決しました。

            近代のモロカイ島・・・・・

 

                ハワイ諸島以外の人々によって島が発見されたのは、1778年11月、イギリスの冒険家キャプテン・ジェームス・クックが最初でした。

                そして最初にモロカイ島に住み着いた西洋人は、キャプテン・ジョージ・ディクソンでした。1786年のことです。

                1800年代に入ると、キリスト教徒たちが島に多く移り住み1832年には島の東側に最初の教会が建てられました。この教会の名残は、現在

                でも当時建てられた壁の名残を見ることができます。

                カメハメハ王5世が1800年代ハワイ諸島を統治していた時、王はモロカイ島カウナカカイの海岸沿いに別荘を建築しました。原始的な材料を使った別荘であったにもかかわらず、藁ぶき屋根の建築そして円形ラナイ、絨毯が敷かれたフロアなど豪華なものでした。現在のハワイ諸島が、観光客の人気スポットNo.1になる遥か以前、ハワイ国の時代から、モロカイ島は人々にとって心を休めることができる癒しの場所であったことを裏付ける歴史の一幕です。

カメハメハ5世は島の農地や放牧地も島の居住者から購入して管理していただけではなく、東海岸に多数のココナッツの木を植林したり、西側の森林では鹿を放牧したりと、モロカイ島の自然環境を裕福なものにしていった人物でもあります。 現在、カメハメハ5世が植林したココナッツの木々は、ハワイ諸島の中で現存するココナッツグローブの中でも最大規模であると言われています。(Kapuwaia Coconut Grove)。

また、西側カルアコイの森林地帯には、当時カメハメハ王が放牧した8匹ほどの鹿が現在は、自然に増えて夜には道路に出てきて道路わきの草などを食べるシーンを頻繁に目撃することができます。

ダミエン神父・・・・・

 

                   モロカイ島の カラウパパ半島 はハンセン氏病隔離施設として、悲しい過去と共にその名が有名になった場所です。 ハンセン氏病が

                   中国からハワイへ持ち込まれ伝染したとき、3方が海に面していて残る1方は断崖というロケーションが、伝染病患者の拡大を阻止する

                   ため、また患者の隔離に最適であったからです。 しかしながら、隔離患者が到着してからおよろ7年間もの間は、十分な施設、設備の

                   ない状態で患者達は苦悩の日々を送ります。 

                   1873年にベルギーからダミエン神父が到着すると、彼はその後、1889年に自らもハンセン氏病で亡くなるまでの間、モロカイ島で献身

                   的にハンセン氏病患者の看病、設備や施設の整備などに自らの人生を捧げました。 

                   ダミエン神父は、カソリックの信仰もモロカイ島に広めており神父が建てた教会もいくつか現存しておりますが、モロカイ島での神父の生活の大半は、ハンセン氏病患者のケアに費やされていました。 

現在、カラウパパ半島は国定保護地区に指定されており許可なく立ち入ることはできません。かつてハンセン氏病であった人々の中で任意でこの地に残って生活を続けている人々がおよそ20人ほどいます。ミュールライド、ハイキング、セスナ機のいずれかの方法で、地元ガイドの案内の元、カラウパパを見学することが可能です。

モロカイ島のことをより理解できる本

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