
1736年、オアフ島からの侵略軍と、モロカイとハワイ島民連合軍がこの地で戦いました。
この海岸沿いのプクヒワ古戦場(Pukuhiwa Battleground)には、戦闘で用いた投石器から放たれた石が今なお散らばっています。近くのプウホヌア(Puuhonua)には、敗れた戦士が逃げ込んだ逃れの神殿があります。


【アクセス方法】
★カウナカカイからハイウェイ450号線を東、ハラワに向かって進みます。
★マイルマーカー13付近海側に、遺跡を示す看板表示があります。
●実際の古戦場はマイルマーカー6から13の間に広がっています。
1736年、オアフ島とこの地で繰り広げられた戦いはオアフ島戦士のほうが力が強かったのですが、5日間にわたる戦闘の末、スピリチュアルなマナを持つモロカイ戦士が勝利し、オアフ島の族長カピイオホオカイ(Kapiiohookai)は殺されました。
後にこの地区を調べた考古学者たちによると、発見された骨の数から犠牲になった死者は数千人になると推測しています。
1794年、カメハメハ1世もハワイ諸島の統一を目指し、カヴェラ近くに侵攻軍を上陸させました。カヌーの大群は、4マイル以上に渡ったといわれています。攻撃を勝利で収めたカメハメハ1世は、戦利品としてマウイ島の高貴な生まれで女族長の一人、ケオプオラニ(Keopuolani)を捕え、のちに幼な妻としました。
この海岸沿いのプクヒワ古戦場(Pukuhiwa Battleground)には、戦闘で用いた投石器から放たれた石が今なお散らばっています。近くのプウホヌア(Puuhonua)には、敗れた戦士が逃げ込んだ逃れの神殿があります。
この地区は残虐な行為がなされ、死者が多く出た場所なので、地元の人々は死者の霊が夜間に行進(ナイト・マーチャント)していると考えています。戦士たちが海へと行進している様を多くの人が見たり聞いたりしていると報告されています。